梶田さんノーベル賞、川越高弓道部の仲間ら祝福「探求心強い努力家」(埼玉新聞)

1977年の卒業アルバムに掲載された県立川越高校弓道部員の写真。後列右から2人目が梶田さん
(埼玉新聞 2015年10月8日(木) より)
ノーベル物理学賞に決まった東京大宇宙線研究所長の梶田隆章さん(56)。
埼玉県出身では初めての栄誉に、一夜明けた7日、出身の東松山市や母校の県立川越高校、埼玉大学では「誇らしい」「自らの可能性を感じる」などと称賛の声が聞かれ、後輩や知人らは拍手で栄誉を祝福した。
「探求心が強く粘り強い」「身近に感じてうれしかった」―。川越高校時代に梶田さんと同じ弓道部で汗を流した同級生や元顧問、現役の後輩らは喜びと称賛の声を上げた。
3年間、梶田さんと共に弓道部に在籍していた川越市職員の益子俊明さん(56)は「練習は遅くまで熱心にやっていた。弓道の書物をよく読んで いた記憶があり、物事を探求するタイプ。今年2月、弓道部のOBで集まった際は『取れたらお祝いしたい』と皆で話していた」と興奮気味に話した。
当時、川越高校弓道部の部長を務め、同窓の大学でも弓道部に在籍していた同校の化学担当教諭の新津雅之さん(57)は「高校時代は弱かった が、大学3年の時、関東ブロックで勝ち抜き、伊勢神宮で開かれた全国大学大会で副将として参加していた。大学で努力したと思う」と話した。
同校の元物理担当教諭で、弓道部の顧問を務めていた内河輝臣さん(76)は「うれしい。素晴らしいのは、彼がガリ勉タイプではないこと。弓道 が好きでちゃめっ気もあり、わんぱく坊主の少年だった。入った時は背が低かったが、卒業時は10センチぐらい伸び、少年から青年になった印象を持った」と 振り返った。
弓道部の現役生は梶田さんの快挙を喜ぶとともに、その生き方を自らの指針に重ね合わせている。
顧問の新津教諭によると、今年の県大会では団体戦が3位に入賞し、6月の関東大会に出場。団体戦は準優勝だったが、個人戦で3年生が優勝し た。1995年のインターハイを皮切りに、これまでインターハイに11回出場するなど関東では有数の名門校。現在は3年生が引退し、1、2年生計15人が 毎日、練習に励んでいる。
5月に部長に就任した2年の武田英昂さん(17)は「弓道部は忙しいのに埼大から東大の大学院に行ったことに驚かされた。ここから世界的な賞 を取れることは、自分もいろいろな賞を目指していけると思った。理系を目指しているので、研究者の道もありだな、と思う」と話した。
副部長の2年川野祐介さん(16)は「昨年冬に部活を見に来てくれたので、顔見知りが受賞したことがとてもうれしかった。同じ部活だった梶田さんが受賞したことで、自分の可能性を強く感じており、将来は社会に貢献できるビッグな人間になりたい」と目を輝かせていた。
川越高校では朝のホームルームで各クラスの担任が受賞を報告。「県内初のノーベル賞受賞者であり、本校の長い歴史の中でも最高の快挙。素晴ら しい先輩を持っていることに誇りを持ち、自らの夢に向けて努力してください」と読み上げられると、生徒らは拍手で先輩の功績をたたえた。