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飯田先生に、礼。

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飯田先生頌徳碑

川越高校グランドの片隅に、記念碑が建っている。
野球部の創設に尽力された、飯田亮先生の記念碑である。
川高グランドに立つものは、現役であれ、OBであれ飯田先生への礼に始まり、礼に終わる。
飯田先生の暖かいまなざしは、今でも川高野球部を見守っている。

ひとつばたご(俗名なんじゃもんじゃ)の木が飯田先生碑の左右に植えられている。
碑の裏には「伊丹安廣氏・寄贈」の高札が立っている。
伊丹先生は後に明治神宮外苑長になられ、神宮外苑の銀杏並木付近にも「なんじゃもんじゃ」の木が立っている。

 

飯田亮先生

東京帝大文学部卒業。国語教師として大正9年に川越中学に赴任される。
雅号を飯田故春と号して、錦心流薩摩琵琶の作詞を数多く書かれた。

伊丹安廣先生
昭和7年秋、飯田先生の要請で東京六大学野球黄金時代の早稲田大学主将で捕手として活躍していた伊丹先生が、川越中学の監督に就任された。
昭和9年秋までの間、学生野球の神髄を精神・技術共に教えられ、その後明治神宮外苑長として活躍された。
(『川越高校野球部70年記念誌』、増島良平さん《旧制32回卒、明治神宮球場長》の文章より抜粋させて頂きました。)

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(朝日新聞埼玉版2015年6月19日号より)

川越、県勢で初めて甲子園出場

 

 川越高校のグラウンドの隅に、ヒトツバタゴの木に囲まれた記念碑がある。野球部の礎を築いた故飯田亮教諭の徳をしのんだ碑だ。1931年の選抜大会で、県勢として初めて甲子園の土を踏んだのが、飯田教諭率いる旧制川越中だった。

 飯田教諭は東京帝大を卒業し、1920年に川越中へ国語教師として赴任。翌年に野球部長に就いた。35年に53歳で病没するまでグラウンドを毎日訪れ、月給の多くを部費に投じたといい、戦前の夏の埼玉大会で5回の優勝を誇る常勝校に育てた。

 時折、母校を訪ねるOBで川越市の川合敬三さん(83)は、練習前後で碑に一礼する現部員の姿を見ながら、戦後間もない頃に思いをはせる。

         ◆        ◆    

 戦況が悪化した42年末ごろ、部はいったん解散したが、終戦後に復活する。当時、在学していた川合さんは野球部に入った。「野球は花形で、みんな『川中』のユニホームに魅せられていた」。戦後の物資難で道具には苦労した。ひびの入ったバットは割れ目を釘でふさぎ、テープで補強して使った。

 忘れられない試合がある。48年秋、実業団や大学野球で活躍するOBの先輩たちも加わり、飯田教諭13回忌の追悼試合が行われた。参加者の中には復員した元部員もいた。軍服からユニホームへ。白球を握る喜びをかみしめるように生き生きとプレーする姿が目に焼きついた。「やっと平和が戻った」と胸が詰まった。

         ◆        ◆

 飯田教諭を慕う思いは脈々と引き継がれた。埼玉大会で優勝し、西関東代表決定戦を勝ち抜いて、夏の甲子園へ初出場した59年。中堅手だったふじみ野市の杉田文男さん(73)は飯田教諭の写真がベンチに飾られていたのを覚えている。杉田さんは「私財をなげうつなど、偉大な人格を備えていた。心技体の強化を通じた人間力の向上を目指していた」と解説する。

 現チームの市石宙(かなた)主将(3年)は日々の野球ノートに、プレー内容とともに、あいさつや礼儀など「心技体」の3項目をつづる。重視しているのは心の強さ。「チームのテーマは人間力。野球への感謝の気持ちを心がけている」。没後80年となる飯田教諭の教えは、今も川越高校に息づいている。

◇県内高校野球の草創期と選抜初出場

 「川越高校野球部七十年史」や県高野連の史料によると、川越中(現・川越高)野球部の創部は第1回対外試合の記録が残る1919年ごろ。最古参とされる現在の浦和高や熊谷高など、各旧制中学で20世紀初頭にかけて野球部が次々と誕生した。19校が出場した31年の第8回全国選抜中等学校野球大会で、県勢として初めて甲子園の土を踏んだ川越中は、主将が選手宣誓を務めた

 

飯田亮先生記念碑建立80年祭

2015年5月17日、OB会主催による「飯田亮先生記念碑建立80年祭」が開催された。

飯田亮先生は大正9年から15年間にわたり川越中学野球部の強化に身を捧げられ、昭和6年には川越中学を春の甲子園に導いた川越高校野球部の大功労者である。

教え子の故家村元監督によれば、当時90円位の月給を野球部につぎ込み、3銭しか残らなかったこともあるほど、情熱を持って指導されていたとのこと。53歳で急死された直後の昭和10年(1935年)11月1日、OB・教え子有志にて川高グラウンド脇に建立された記念碑が、この度80年を迎えることとなった。

川高野球部員は練習前後に飯田先生の記念碑に礼をするのが習わしである。80年祭を機に、改めて飯田先生のご功績を振り返り、大先輩の川高野球部へのご貢献をOB一同、有難く感じた。

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